Helen Merrill / ヘレン・メリル

Helen Merrill / ヘレン・メリル
Biography

ヘレン・メリル(Helen Merrill、1930年7月21日 – )は、アメリカ合衆国の女性ジャズ歌手。本名はイェレナ・アナ・ミルチェティッチ(Jelena Ana Milcetic)。その歌声は、しばしば「ニューヨークのため息」と評される。

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Helen Merrill / ヘレン・メリルの活動と生い立ち

ニューヨーク生まれ。両親はクロアチア人移民だった。14歳でブロンクス区のジャズクラブで歌うようになり、1946年から1947年にかけて、レジー・チャイルズ・オーケストラ(Reggie Childs Orchestra)というビッグバンドの一員として活動。
1948年、クラリネット奏者のアーロン・サクスと結婚するが、1956年に離婚。

1954年12月22日から24日にかけて、初のリーダー・アルバム『ヘレン・メリル・ウィズ・クリフォード・ブラウン』を録音。1956年に早世するトランペット奏者のクリフォード・ブラウンが全面参加し、クインシー・ジョーンズが編曲を担当。同作収録の「ユード・ビー・ソー・ナイス・トゥ・カム・ホーム・トゥ」(作詞・作曲はコール・ポーター)は、メリルの代表的なレパートリーとなった。

1956年作品『ドリーム・オブ・ユー』ではギル・エヴァンスと初共演。1950年代末期になるとヨーロッパでの活動が増し、イタリア録音のアルバム『ローマのナイト・クラブで』ではニニ・ロッソと共演。

1960年11月、初の日本公演を行う。1966年頃、UPI通信社のアジア総局長ドナルド・ブライドンと結婚し、それを機に日本に移住。以後、渡辺貞夫との共演盤『ボサ・ノヴァ・イン・トーキョー』、猪俣猛とウエストライナーズとの共演盤『オータム・ラヴ』、佐藤允彦と共に制作したビートルズのカヴァー集『ヘレン・メリル・シングス・ビートルズ』、当時やはり日本在住だったゲイリー・ピーコックとの共演盤『スポージン』等を発表。

その後ブライドンと離婚し、1972年にはアメリカに帰国して音楽活動を停止するが、1976年にはジョン・ルイスとの共演盤『ジャンゴ』を発表し、活動再開。
親日家であり、活動再開後は数多く来日、ライブ・コンサート活動をしている。